【私の出産体験】人生でもっとも叫んだ私の壮絶出産体験

出産に対して、不安だらけでした。
「自分は難産だったらどうしよう」と考えたり、「考えても仕方ない」とポジティブに捉えてみたりを繰り返す日々。
そうして迎えた出産は、私にとって、本当に壮絶でした。様々な意味で自分が思い描いていた出産とは全然違うものでしたし、二度と忘れることのできない26時間に及ぶ超難産。その出産体験を、ここで振り返ってみたいと思います。

私の選択は「経膣分娩」

「どんな痛みなのか?」がとても不安だった私は、無痛分娩にしようかと何度も悩みましたが、赤ちゃんも辛い思いをして外に出てくるのだから、私もこの痛みを乗り越えて頑張ろうと考え、出産方法は、自然に任せた経腟分娩を選択しました。主人も私も立ち会いを望んでいなかったため、里帰り出産にし、出産の1か月半前から実家で過ごすことにしました。

小柄な私から4000gの赤ちゃんが!?

小柄な私から4000gの赤ちゃんが!?
私の体は156cm、41kgと小柄だったため、妊娠5か月の頃からお腹がすごく大きいと言われていました。
生まれてくる1週間前には3500gもあり、「このままいけば4000g行くかもしれない」そんな言葉に私の不安も大きくなるばかり。しかし妊娠当初から食欲旺盛だったため、出産直前は体重がベスト体重のプラス15kgも増えていたのです。太ってしまうと産道にもお肉が付いてしまって赤ちゃんが出てくるのに時間がかかると、注意されました。

マタニティヨガで心と体の準備

マタニティヨガで心と体の準備
できるだけ安産になるようにと、妊娠中期に週に1回のマタニティヨガを始めました。出産時にパニックにならないよう、呼吸を整えたり股関節を柔らかくしたり、出産に向けての運動を始めました。大き過ぎるお腹のためか、ヨガのポーズはきつく難しいものもありましたね。また、お腹をしっかり守る為のサポーターや安産祈願でもらった腹帯を妊娠5か月頃から装着するなどの準備をしました。

台風の誕生日に陣痛はやってきた!

出産時は今でも鮮明に覚えています。
出産予定日を1週間すぎたその日は、忘れもしない、台風が吹き荒れる私の誕生日でした。田舎では台風が来ると、道が土砂崩れで通行止めになることが多く、母が「もし通行止めにでもなったら陣痛が来た時、行けない」と言い出し、病院へ電話。入院できるかどうかを聞くと、病院側はすんなり受け入れてくれました。
午後2時ごろ、病院に着いた私たちが入院手続きをしていた時のことです。
お腹が痛みました。
まさかと思った瞬間にどろっとしたものが出ました。
すぐに助産師さんにその旨を伝えると、破水していたのです。
すぐに陣痛室へ運ばれ、出産準備が始まりました。
一瞬にして、ここまで進んだことに頭がついていかないまま陣痛が始まりました。
生理痛のようなものから始まり、どんどん痛みは増します。
その間も破水はし続けているので、痛さで震えながら何度もトイレへ行き、破水用のナプキンを取り替えました。
とめどなく溢れてくる破水にびっくりしながらも痛さに耐えていました。
破水したので、出産はその日になるだろうと思っていましたし、助産師さんにも子宮口がもう破水が始まった時点で3cmだったので、このままいけば今日中には生まれるかもしれない、と言われ頑張ることにしました。
今日生まれれば同じ誕生日になれると思いながら。

午後から夜、そして朝、もうこの痛みに耐えられない…。

だんだん痛みが増していき、呼吸法を取り入れなければならないほど痛みました。
痛みの波が来てはまた去り、5分間隔、3分間隔と縮まっていきました。
助産師さんが1時間ごとに子宮口がどれだけ開いているか見に来てくれるのですが、進みが悪く夜中に突入。
おそらく今思えば微弱陣痛だったと思うのですが、3分から5分おきの痛みが夜中から朝まで続きました。
痛みで眠ることも食べることもできませんでした。
あんなに夜が長いと感じたことはありません。
陣痛室では、一人で痛みに耐える時間帯もあり、辛く苦しかったのを覚えています。
どこまでこの痛みが続くのだろうと終わりが見えませんでした。
途中でくる助産師さんにも「もうこの痛みに耐えられないので、無痛分娩に替えることはできますか?」と聞いていたくらいです。
助産師さんからは「赤ちゃんも頑張っているから一緒に頑張ろう」と言われ朝を迎えました。

陣痛促進剤の力を借りても生まれない。

朝になっても子宮口は開いてくれません。
まだ7cmくらい。
赤ちゃんは元気だったのですが、さすがに12時間以上も痛みに耐えたのには、体力的な限界を感じてきていました。「もう早く出して欲しい」朝、担当の先生が来た時に懇願し、陣痛促進剤をお願いしました。
朝に促進剤を打って、だんだん陣痛が激しくなるのは午後過ぎてからだろうと言われました。
本当に午後からは痛みがさらに増し、呼吸法も忘れるほど。この時破水から24時間が経過していました。
子宮口が10センチになったのは夕方16時半頃です。
それでも分娩室には連れて行ってもらえません。
赤ちゃんの頭が見えてくるまでは陣痛室です。
どこまで耐えるのかと本当に悶絶の時間でした。
陣痛室で助産師さんに「いきんで」と言われ、何度もいきみましたが赤ちゃんの頭は見えません。
ですが、陣痛に耐えるよりいきむ方がもう我慢しなくていいんだと楽に思えたことを覚えています。

午後5時20分、やっと分娩室へ

頭が出ないまま、助産師さんは何やら担当の先生に話しに行き、戻ってきたらそのまま分娩室に移動することになりました。
頭が出ていないのに分娩室へ行っても大丈夫なのかと思いながらもこれでやっと終わりが見えてきたと少しほっとしたのを覚えています。
そして午後5時20分、分娩室では研修生、助産師、先生方合わせて15人くらいはいました。
すべて私の出産に立ち会ってくれたのです。
私は担当の先生に、「これから長くなりますか」と聞くと「20分で終わる」と言われました。
その答えに「なんで?」と思いました。
頭が出ていないのにそんなに早く生まれるはずはないと思っていると先生が「最初に頭を出すのに私が少し力を貸します、そのあとは頑張って自力で産んで」と言われました。
どういうことかわからず、それでも陣痛が来るたびにいきみます。
すると担当の先生が次の陣痛で頭を出すと言われ、何をされるのかと思えば何やら機械を子宮口の中へ入れているのです。
この時すごい痛みが走りました。
でも何をされてるかわからず「先生、今何してるんですか?」と叫びながら聞いていましたが先生は必死です。
ガッガッとその機械で赤ちゃんの頭を引っ張り出される感覚になりました。
この時、私は人生で一番叫びました。
赤ちゃんの頭を引っ張る先生、そして私のお腹にまたがり、お腹を押して赤ちゃんを押し出そうとする先生、もう何が何だかわからなくなり、酸素ボンベを付けられました。
すると赤ちゃんの泣き声が聞こえたのです。
一瞬の出来事でした。

午後5時40分、運命の瞬間

「え、生まれました?」
と聞き返して、午後5時40分に我が子が誕生しました。
最初の先生の説明では、最初頭を出すのは先生、そのあとは自分の力で生むということを聞いていたので、それもせず我が子は機械によって引っ張り出されたようです。
吸引分娩だったのです。
その説明は一切ありませんでした。
何をされるか説明がなく、分娩室に入ってから一瞬の出来事であんな壮絶な出産をしたのは二度と忘れません。
自分の力でゆっくり赤ちゃんを産んであげられることができなかったことに悔やみました。
安産ではなくこれが超難産だったことは確かで、頑張っていた運動や呼吸法は何だったのだろうと思いましたが、出産は思いがけないことが起こるものだとこの時感じました。

最後に–

この出産体験は本当に自分の中では忘れられない出来事です。
母親が陣痛の度にいきんで自力で赤ちゃんをこの世に生み出す、想像していた出産ではありませんでしたが、これも私なりの出産だったんだなあと思うことができました。
出産は想定外、そう思うようにしました。
逆に思い出も強く、忘れることのできない出産体験ができてよかったと思っています。
その後の回復は人より遅く、ちゃんと歩けるようになるまで1か月かかりました。
我が子が大きくなったら、こうやって生まれてきたということを教えてあげたいです。
吸引分娩について最後まで説明がなかったことに少し疑心を抱きましたが、もしかするとそれを聞いていたらパニックになるかもしれないと最後まで言わなかったのかもしれません。
先生方や26時間陣痛に付き合ってくれた研修生、その場にいた皆さん、には本当に感謝しています。

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